『沖縄ノート』勝訴を、未清算の過去を問い直す契機に

大江健三郎『沖縄ノート』訴訟で最高裁が上告を棄却し、沖縄戦での「集団自決」に対する軍の関与が確定しました。

1950年8月15日に刊行された沖縄タイムス社『沖縄戦記 鉄の暴風』は、慶良間列島の渡嘉敷島に上陸した赤松太尉から、「こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って、自決せよ」という自決命令が下されたと記載しています。

家永三郎は『太平洋戦争』で、「座間味島の梅沢隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため30名が生命を失った」と記しています。

今度の最高裁判決は、これら未清算の過去を今日の視点でとらえかえし、明日への一歩を踏み出すための力になると思います。

木下順二は1963年に書いた「沖縄について」の中で、「沖縄の全滅に近い犠牲において、本土はいわば一億玉砕を免れたのである。(略)今日の本土の『繁栄』や太平ブームも、またまともな意味での『平和』も、すべて沖縄の犠牲の上に成り立っていると考える考え方が成り立つ、というのが現在の状況なのだ」と明言し、「負いきれぬ責任が私たちの上にあるのだという認識を持つこと。そこから私たちの行動を出発させるということはできないか」と大切な問題を提起していました。

大江健三郎が1970年の『沖縄ノート』で、「このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」と記しているのは、木下の提起を受け止め、その思想を発展させるものでした。

大江健三郎「『人間をおとしめる』とはどういうことか―沖縄『集団自殺』裁判に証言して」(『すばる』2008年2月号)は、文科省による高校用教科書からの「軍の強制」記述削除、これに抗議する復帰後最大規模の11万人抗議集会、教科書会社の訂正申請、「強制」記述を認めないという文科省の検討結果――いわゆる沖縄戦教科書問題の本質を理解するうえで、時宜にかなった論文でした。

『沖縄ノート』を誤読した曽野綾子が、『ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決』で大江を非難し、藤岡信勝らの自由主義史観研究会がこれを政治的に利用したのが今回の裁判です。

1945年の沖縄戦のはじめ、非戦闘員の島民が家族ぐるみ集団自殺をとげました。曽野らはこの集団自殺が軍の命令で行われたのではなく、「国に殉じるという美しい心で死んだ人たち」だ、自発的なものであったと強弁しました。

大江はこの訴訟の「政治的主題」を次のように抉り出しています。

「集団自殺が、軍の命令で強制されたものではなく、自発的に行なわれる、みずから望んだ『死の清らかさ』のものであった、と歴史に書き込み、これからの日本人をあらためてその方向へ教育しようとする者らの、退屈なほど単純な企てで、この訴訟があったこと、あり続けていること」

タイトルの「『人間をおとしめる』とはどういうことか」は、「定義集」(「朝日新聞」2007年11月20日付)の文章に対する高校生の質問に答えたものでした。

大江は曽野の前掲書から「国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか(・・自らは、原文のママ)」を引用しましたが、その際あえて「(・・自らは、原文のママ)」を書き加えました。高校生の質問はこの書き加えの意味についてでした。

曽野の考えは、国に殉じる美しい心を否定する者は、日本人の総体をおとしめることであり、彼らも日本人であろうとするなら、「かれは日本人のひとりである自分を、、、、、、、、自らおとしめている……」というものです。

大江は彼女の考え方が特殊であり、それによって曽野は自らをおとしめている、そのことを強調したいがために書き加えたのだといっています。

「――高校生諸君、あなたのなかの普遍的な『人間』を、こういう特殊な言い方で自らおとしめる者とならないでください!」という大江の高校生への返事は、この問題の基本精神を示しているといえるでしょう。

 2011年4月26日 会員M