『下町ロケット』直木賞のことなど

池井戸 潤『下町ロケット』が直木賞を受賞しました。

実験衛星打ち上げロケットに搭載するエンジンの開発に9年もの歳月を費やしてきた主人公は、実験失敗の責任を取って研究所を去り、今は東京の下町で家業の製作所を経営しています。かつて研究者として追い続けた夢を彼は棄てることが出来ません。大企業や銀行からの圧力や従業員との軋轢を一身で受け止めながら、ついに、ロケットエンジンのキーテクノロジーであるバルブシステムを開発、種子島宇宙センターでの打ち上げに成功します。

「朝日新聞」(7月18日付)に寄せられた作者の文章によると、自動車会社のリコール隠しをモチーフに書いた『空飛ぶタイや』が、社会的な問題意識に根ざした最初の企業小説とのことです。その後、鉄鋼の談合を描いた『鉄の骨』がありますが、これらの作品は、モチーフとの関わりからか、どちらかというと、企業悪に対する糾弾の色調が濃厚です。今度の『下町ロケット』では、そうした傾向が後景に退き、働く人々が理念を共有したときに生み出される創造性や、モノ作りに執念を燃やす喜びなど、この国の良き伝統が多面的に描かれていて好感をもつことができました。

「現代におけるあらゆる事象は、他のいかなる時代にもまして、一事象をそれなりのものとして限定して考えることを極めて困難なものとする。一事象は無限に核分裂して縦にも横にも連鎖反応を起こし、終局的には歴史、ないしは現代史と称される『全体』の場に収斂される」(堀田善衛「母なる思想」)。
文学を上記の内容でとらえ返した時、芥川賞受賞作品なしということからもいえるのですが、ここ数年、社会の現実に鋭く切り込んでいるのは芥川賞ではなく直木賞だという思いを強くしています。同時に、芥川賞・直木賞の垣根がしごく曖昧になってきていることに気付かされます。

松本清張の芥川賞受賞作「或る『小倉日記』伝」は、直木賞候補作品でした。『マークスの山』で直木賞を受賞した高村薫は、『晴子情歌』・『新リア王』・『太陽を曳く馬』の三部作で文学の地平に新たな一歩を刻印しました。古くは、『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』を書いた大佛次郎が、名作『パリ燃ゆ』でパリ・コンミューンを壮大に描ききりました。ちなみに、今年はパリ・コンミューン130周年にあたります。

「純文学」といわゆるエンターテインメント作品という枠組み自体を、再考する時期に来ているような気がするのです。

2011年7月22日 会員M