ある映画でのキング牧師の言葉

1989年公開の米映画「ドライビング・ミス・デイジー」を、日本での1990年封切りの時に私は見ていません。ビデオ、DVDなどで後追いの観客でした。ジェシカ・タンディ、モーガン・フリーマンの演技はすばらしいものでした。映画の中で、キング牧師(公民権運動のアフリカ系指導者のひとり)が米国南部アトランタで1965年行った演説の一部が声でだけ紹介されています。英語にはついていけない私ですが、シナリオの訳書から、その日本語訳の全文を読むことになりました。今年DVDでひさしぶりに見たことがきっかけです。字幕では簡略な紹介になっているスピーチ全文を知りたくなったからです。日本語訳シナリオを図書館でさがす努力につながりました。
画面の日本語の字幕も短くても印象的でしたが、全文はまた内容が濃かったのです。いくつかのシーンで述べられている言葉はつなげると次のとおりでした。
「南部がすばらしい可能性に満ち溢れていることは、誰もが認めているところです。しかしその可能性にもかかわらずーー

南部全域に根を降ろしている人種差別は、社会的に教育的にそして経済的に他の州に遅れをとる原因になっています。南部にも良識ある多くの白人がいますが、彼らの声は聞こえず、彼らの主義は不明確で、その勇気ある行動はいまだに見られません。

ーー彼らにいま求められているのは、勇気を奮い発言し、率先してしかるべき行動をすることです。このままでは歴史にはこう記されますーー

この社会変革期における最大の悲劇は、悪しき人々の過激な言葉や暴力ではなく、善良な人々のかたくなな沈黙と無関心であったと。そして我々の世代は、『暗黒の子供たち』が放った言葉や行動ばかりでなく、『光の子供たち』の恐怖や無関心をも、後悔することになるでしょう。」
ユダヤ系の老主人(引退教師の女性)とアフリカ系運転手(息子が母親のために雇った男性)とが、ひとりは講演会場で、ひとりは車のラジオで、聞くシーンは印象深いものがありました。セリフを改めて読んで、さらに感じることになりました。ジュシカ・タンディ、モーガン・フリーマンの演技は特筆すべきものなのでしょう。
ある解説では「善意の人々による無自覚の差別」という言い方もあるようです。良識ある人々の「沈黙や無関心」は問題であるとの気持ちは、人種の垣根を越えて手を携えて差別撤廃を戦ったキング牧師もやはり感じていたのでしょう。しかし、それを単に批判したり論評するだけではなく、呼びかける姿勢で語り、聞いた人がそれぞれ受け止め考えてほしいという発言に映画ではなっていました。そんなところにもキング牧師らしさがあったのでしょうか。スピーチはさりげなく示されてしかいません。しかし印象に残るシーンとして私は記憶しました。
私にも「無知無関心から視野に入っていず、つながる言葉や行動もしていない」ということはたくさんありそうです。もちろんひとりがすべてわかり、何でもやるなどということはできることではありません。気がついたことでできることなら、それは少しずつ、が私にあった日常なのです。
2012年7月28日 会員UE