小説「天佑なり」が12月31日最終回でした


2012年12月31日、北海道新聞朝刊連載小説「天佑なり(てんゆうなり)」(幸田真音)が最終回となりました。時の大蔵大臣高橋是清が2・26事件で軍部の手になるクーデターで殺害されたシーンが描かれています。30日は2・26事件当日自宅に軍人が踏み込むところでした。ここ数日、自分の意見を主張している是清の姿を作者は作者なりに描いてきました。ひたむきな彼の姿を終わりに近くなればなるほど、前向きに語っています。

最終回からの抜粋を紹介します。作者の気持ちに共感したからです。妻品の気持ちも胸をうちました。

「私心も我欲もなく、国民を豊かにするため一心に尽くしてきた81歳の生涯。丸腰の無防備な老人を、完全武装した大勢の軍人が殺す正義がどこにある。しかもここまで無残な姿でだ。銃によって絶命したあとも、さらに死体陵辱ともいえる残虐な刀傷。品は、胸の奥底で煮え滾るものに、全身が震えて止まらなかった。

軍部の増長の先にあるものを明確に予見していた「無私の人」高橋是清の声は、暴挙によって完全に絶たれてしまった。そのことで、昭和11(1936)年の予算も、高橋財政も、軍備膨張への最後の歯止めも、なにもかもが崩れ去った。」

「後日取調べの席で、品はただ一人毅然とし告げた。思いのたけをこめ声をあげたのである。

『残酷と申すより、卑怯にございます!』」

私がはじめ想定した成功し実績ある政治家の生涯をかっこうよくということとは違った視点を作者は意図していたようです。私よりもはるかに歴史も経済も深く知ってのことなのでしょう。高橋是清の主義主張についてはじめて具体的に小説で知った私ですから、問題にもなりません。しかし熱い小説に出会うこととなりました。幸田真音さんを、初めて知り、注目することとなりました。2013年はすでに既刊の小説をいくつか味わってみることにします。

読み応えのある小説を毎日目を通すことができることは、喜びの一つです。ただそれにめぐりあうためには、その新聞を購読していることがなければなりません。過去に何回か幸運な出会いを味わいました。またひとつ同じ体験をしたのはありがたいことと言わなくてはなりません。

歴史から学べという言葉があります。生きている我々は今の時点の到達点に立って、歴史をふりかえることなのでしょう。「天佑なり」はそのような小説であり、作者の気持ちも良く示されていました。それで気づいてみると、いろいろな人がいろいろなことについて発言しています。

私は12月29日の日本経済新聞「2013展望 上」で、原発事故の政府検証委員会の委員長を務めた畑村洋太郎氏の発言が目に止まりました。原発政策について国民の視野が狭くなっているとこう語っています。

「日本人は『黙る』『考えない』思い込む』のどれかに陥っている。これらを正反対の姿勢に改めなければ、適切な技術開発はできない」

畑村氏のあげたこと、他のことにもあてはまるのではないでしょうか。「ものを言う」「考える」「思い込まない」、これが大事で、「天佑なり」も通じるものがあると受け止めました。

皆様、よいお年をお迎えください。


2012年12月31日 会員UE