品川正治『戦後歴程』から見えてくるもの


自伝でこれほど面白い作品に出会ったのは、河上肇『自叙伝』以来でした。
 戦地で九死に一生を得た品川さんが、60年安保闘争の6・4国鉄ストでは、原則的なたたかいで有名だった全損保の指導者として、池袋駅防衛の総指揮を執る姿には、圧倒されます。
 圧巻は、沖縄の本土復帰での対応です。品川さんは、日本火災企画部の責任者として、当時の右近社長と二人でこの問題に取り組みます。「沖縄の人たちは日本で一番幸せにならなければならない」というのが、二人の信念でした。「それは沖縄戦とそれにつづく米軍占領、沖縄放棄に対する贖罪、沖縄のこころに応えるために、生き残った本土の私たちは何をしなければならぬか」という、根本的な問いかけへの答でした。
 沖縄に対する贖罪という考えは、藤島宇内が1958年に「三つの原罪―沖縄・部落・在日朝鮮人―」で言及していたものでした。木下順二がこの発言に刺激されて、戯曲「沖縄」を書いたことは、良く知られているところです。
 品川さんはこの信念のもとに単身、沖縄に行き、損保の組合をまとめ上げて、沖縄の損保会社の統合と、ブレトン・ウッズ態勢の崩壊で混乱に陥っていた現地で、通貨ドルを360円で交換させることに成功します。
 「沖縄人の決意を見誤ってはならない。敵は日米安保体制にあると、いま、的を絞って立ち上がりはじめた。本土復帰の願いの底にあった『憲法9条を持つ日本国に復帰したい』という、祈りに近い沖縄人の願いに私は共感を禁じ得ない。いま、あらためて、『ヤマトンチュウ(本土の日本人)』として『ウチナンチュウ(沖縄人)』の心とともにありたい」と、品川さんは決意しています。贖罪の内実としてしっかりと受けとめたいものです。
 「あとがき」で品川さんは、「歪んだ資本主義にとっては、歪んだ民主主義が使いやすいのである」と書いています。フクシマの現実は、このことを赤裸々に物語っているといって良いでしょう。
 この本で、実は、品川さん以上に魅力的な人物が、静夫人です。
 三人の子どもを婚家に残して、「もう一つの日本」を実現するために、品川さんと結婚、関西労働学校で品川さんと一緒に学び、10歳年上の姉さん女房よろしく、いつも品川さんを励ましています。この作品では、全11章のうちの1章が静さんへの賛歌にあてられています。
 亡くなられた一人息子の大学での専攻の一つが、スペイン市民戦争であったことからの連想ですが、静さんが、ラ・パッショナリア(情熱の花)の別称で知られるドロレス・イバルリの姿に重なって見えてきます。戦後民主主義の奔流を支えてきたのが、このような女性たちの存在であることを、改めて思い知らされました。
 
2013・11・2 会員M