映画「永遠の0(ゼロ)」を見て


12月に封切り公開された映画「永遠の0(ゼロ)」を見ました。放送作家からスタートした百田尚樹(ひゃくた・なおき)氏の同名小説を映画化したものです。「3丁目の夕日」シリーズの山崎貴監督が、シナリオを書き監督ともなりました。
これから、原作や映画を読んだり見たりする人もおられるかもしれません。ですから内容の細部や解説はせず、私の印象を少し書きます。読んだ人見た人とのどうだった私はこうだったけれどもという、これから語り合いを、自分としても期待し大事にしたいからです。
「0」は零戦のゼロ、皇紀2600年にちなんだゼロだそうです。零戦に搭乗して特攻死した主人公宮部久蔵の人物像と思いを、戦後の孫世代の若者たちが調べていくという内容です。彼は小説では、大正8(1919)年生まれ、映画ではひょっとしたら大正7年生まれになっていたかもしれません。映画は小説をコンパクトに若干刈込などいれていますが、ほぼ忠実に映画化していました。
百田氏はこれまで何度か映画化の申し出はすべて断っていたとか。その本人も困難視していたシナリオを「見事に」山崎氏が書き上げたことで、承諾したそうです。百田氏は12月15日日本経済新聞で「戦争は悲しみである」と題して、小説化にあたっての思いなどを吐露しています。それはそれで読み応えのある文章でした。
数か月前に文庫で読んでいて、映画になるようだからぜひそれも見ようと思っていました。引き込まれもし、涙がでそうな思いも味わいながら読破した小説でした。ベストセラーにもなりよく売れているというのもうなずける気持ちがしました。
映画「永遠の0」これまた良い作品と受け止めました。小説よりも良いと私は思いました。私流にいわせてもらえば、原作は「片目をつぶって片目で見たもので書かれたもの」、映画は「両目で見る努力をして描かれたもの」という違いを感じたからです。加えられた映像も印象を強めています。宮部の家族愛、理不尽に強いられた死、が映画ではストレートに飛び込んできました。見た人に感じさせ、考えさせる映画と受け止めました。山崎監督の力量たいしたものということがようやくわかりました。
今年は小説も大きな反響を呼んだ「少年H」も映画化されました。その原作を発行当時読み、やはり強い印象を受けていました。累計300万部以上売れている妹尾河童氏の自伝的小説が、古沢良太シナリオ、降旗康男監督で映画化されました。私のつけた総合点では、小説も映画も「少年H」が勝ります。山崎監督も素晴らしいけれども、降旗監督もさらに素晴らしい力を持った監督でした。
昨日今日、驚くような出来事が起こっています。12月26日安倍晋三首相が靖国神社に「公式参拝」を行いました。今日27日は、仲井真沖縄県知事が辺野古埋め立て申請を県民の多数意見を否定して認めました。12月6日の自民党公明党による特定秘密保護法強行成立に続く出来事です。それらのことが、「永遠の0」の小説や映画に感じられた、あるいは作者や監督の思いにある「悲しみ」さえ、踏みにじる行為に思えました。それは私だけの気持ちでしょうか。
2013年12月27日 会員UE