浅田次郎『日本の「運命」について語ろう』

 浅田次郎氏の『日本の「運命」について語ろう』(幻灯舎 2015年1月刊)を読みまし た。北海道新聞朝刊の広告で知ったからです。 

あとがきで、いくつかの講演を再整理して読みやすくしたものと知りました。最後に行きつく までそうとはわからないほどまとまったものでした。編集者もさぞ苦労したことでしょう。 

1951(昭和26)年生まれの浅田氏、たくさんの小説をエネルギッシュに発表していま す。そのなかに歴史小説があり、幕末、幕末以降の近代、中国の近代が守備範囲だそうです。 彼の小説のいくつかは読みましたが、歴史小説も含め面白いという気持ちが先立つ読者でし た。しかし登場人物のポジションや時代背景は忠実に史実をたどっていると述べていました。 私が知っていなかっただけだったようです。

初めて知ったことわかったことを含めてたくさん教えられた思いをした本となりました。まず ご本人はよく勉強されている、しかも見方とらえかたもしっかりしている。私は日本の近現代 を再勉強させられた気持ちになりました。しかも面白い。読者サービス満点の内容です。講演 を聞いた聴衆は幸せな楽しい体験をされたことでしょう。

面白く楽しく読んだのですが、読み終わって改めて感じるものがありました。著者の投げた球 を私はきちんと受け止められるのだろうかでした。さらに彼が問いかけてくれたことに、自分 は向き合えるのだろうかでした。宿題を人に与える本だったかが、私の気持ちです。

全5章の構成ですが、第1章「なぜ歴史を学ぶのか」で、文化としての国、統治システムとし ての国を区別することを言っていて、なるほどと受け止めました。他国の良いところを取り入 れていくことの提言も視野の広さからでした。

以下、私には宿題となったと考えた数節を抜き書きします。そうなのだろうかとの思いを持 ったからです。自らに問わなくてはならなくなりました。

「歴史と史実は違います。歴史とはその国の人々の共通の記憶、つまり起こった事実の捉え方 ですから、客観的な事実、史実による議論を期待するのは難しい。」(28ページ) 

「私は小説家ですから、ひとつの視点や歴史観でなくてはならぬという主張には与(くみ)し ません。魅力も感じません。しかし、日本人の国民性はよくもあしくも集団主義的ですから、 どうしても歴史にアイデンティティを求めます。 だから今の世相について、ある一定の知的レベル以上の人と議論すると、これがつまらないん ですよ。新聞かテレビで言っていた4-5パターンの受け売りで、オリジナルな考えがない。でも、以前、下町でまわりは職人だらけというサウナに入っているとき、フセイン処刑のニ ュースが流れたら、いろんなことを言うんですよ。 『気の毒になぁ。あいつだって親も子もいるだろう』 『どこの国の法律で死刑になるんだ?』 こうしたさまざまの世論が歴史でしょう。」(29ページ) 

「科学は経験の累積によって確実に進歩をとげるが、人類が科学とともに進化していると考え るのは重大な錯誤である。人間は時代とともに進歩ではなく変容し、あるいは退行しているの だという謙虚な認識をもたなければ、時代小説どころかほんの一昔前の舞台すらも、正しく描 くことはできない。 たとえば、戦争というものなどは、その重大な錯誤と認識の不足のせいで繰り返されると思わ れる。」(228ページ) 

2015年2月11日 会員UE