植村隆氏のDVDが問いかけるもの

620日に開催された植村隆氏の講演「私の歩んでいる道 ジャーナリストとして」のDVDは、非常に刺激的で考えさせられるものでした。
氏の朝鮮への関心が、高校時代に見た法隆寺の弥勒菩薩であったというエピソードには、思わずニンマリしてしまいました。1960年に京大の学生がその魅力にとりつかれて抱きついた結果、右手の薬指を折ってしまったという事件がありました。それを知って、ノコノコと広隆寺まで見に行ったのを思いだしたからでした。

氏が無法な弾圧に屈せずたたかい続けているのは、応援する運動の広がりにあることはいうまでもありません。同時に、氏の立ち位置の基底にすえられているのが、戦争責任の問題であること、そこに氏の行動の原動力があると思いました。
氏は「朝日新聞」が戦時中、朝鮮の植民地支配や満蒙開拓団を積極的に推奨してきたことを、自らの責任として受容しています。自分が直接手を染めていないにもかかわらず、「朝日」の記者として、先輩たちが犯した戦争犯罪を十全に引き受ける、その覚悟が氏の思想の根底にあること、そのことが、たたかい続けている根本の理由だと思いました。

藤島宇内はかつて、近代日本の歴史のなかで「国民のハッキリした歴史的体験、自覚とならずに犯された大きな罪悪」として「沖縄・部落・在日朝鮮人」をあげ、これを「三つの原罪」と指摘しました(『日本の民族運動』)。
木下順二は、「三つの原罪」という未精算の過去を自らの課題として受け入れることが、「われわれの行動の機動力・原動点」であると書いています。

「われわれは余りにも健忘症でありすぎる。忘れてはならないことを忘れ、忘れてはならないことを忘れさせる力に対する抵抗が弱い。そういう弱さが私自身のなかにあることを反省しないわけにはいかない。
朝鮮に対する植民地的支配だとか、中国に対する残虐行為だとか、日本民族が他の民族に対して犯した罪はやはり忘れてはならないはずです。自分個人はその罪を犯していないかもしれないが、われわれの親、祖父の代に日本民族が犯している。そういう原罪意識というもの、不合理・不条理であるけれども、 その罪を負わなければならない。
つまり、取り返しがつかないのだという意識をもつ、そのことが、われわれの行動の機動力・原動点になる必要があるだろうと私は考えます」(『世界』196510月号)


三つの原罪のなかに、アイヌ民族の問題が欠落していることは残念ですが、未精算の過去に対して「取り返しがつかないのだという意識をもつ」とともに、それを取り返すために今、何をしなければならないのかを、氏の講演を聴いて、改めて考えさせられました。
2015年9月11日 会員M

DVDを作成いたしました - 第9回講演会 植村 隆氏「私の歩んでいる道」~ジャーナリストとして~



第9回講演会、植村 隆氏「私の歩んでいる道」~ジャーナリストとして~ のDVDを作成いたしました。
本体-税込1000円
ご希望の方はご連絡ください